2月24日更新
地元の人間以外わからん話で申し訳ない。と前置きしておいてと。
私の生まれは古町のはずれの長屋であるけれども,小学校にあがる前に中山という場所に引っ越してきた。小さな借家だったけど。
その後,小学校高学年の頃に家を建てて(もちろん親が)また引っ越すのだけれども,同じ中山地内だったので転校はしなかった。場所はけっこう離れていたけど。中山というのはだいぶ広いのだ。
それ以来,ずっと同じ家に住んでいる。就職時に3年ばかり東京にいたけれども。
で,子どもの頃から思っていたのが「中山って言うけど,山なんてないよなぁ」ということだった。
活動範囲が広がると,他にも近所には牡丹山とか山木戸とか紫竹山とかあることがわかって「山,多いな。高いところなんてないのに」と思ったりもしていた。
そう思っただけで,別に調べようとか誰かに聞いてみようとかもしなかったわけだけれども。そのまま何十年も過ぎてしまった。
それが最近(でもないが。去年か?),「新潟歴史双書6・新潟砂丘」という本を買って読んでみたら,うちのあたりには東西にのびる古い砂丘列が何本か平行に走っているらしいことが書いてあった。
そのときは「ほほぅ。なるほど」と思っただけだったのだけれども,先日の古信濃川歩きで刺激を受けてもう一度読み返してみたら,その砂丘の尾根が,昔から現在まで続く道路になっているのだということにようやく気づいた。
牡丹山線と呼んでいるバス通りが,双書でいうところの長嶺砂丘の尾根道にあたるらしい。確かに,この道は両側が坂になっていて,明確に尾根になっている。突き当たりは沼垂白山神社であるし。
去年の冬は大雪で3日間バスが不通になって全国ニュースにもなったような道であるけれども,そういう古い道であれば狭いのもしょうがないところであるかと,思ってしまう。
この牡丹山線の赤道(あかみち。せきどうに非ズ)手前に,私が勝手に「牡丹山の魔送球」と呼んでいる不自然なカーブがあるのだけれども,かつてそこに池があって道が迂回しているらしいことを示す口絵や航空写真も載っていて,なるほどと思ったりもした。
その他,木戸小学校わきの道や,竹尾小学校から一本バイパス側に入った道なんかも,細くて豪邸が並んでたりして以前から「昔からの道なんだろうなぁ」と思いつつ歩いていたのだけれども,「これが砂丘の尾根だったのか?」と思うとまた違った風景が見えてくるような気がする。
あと,東工業高校のわきの道とかもどうか。線路をはさんで向こう側にもつながっていたっぽい道が怪しいというのは,この間の古信濃川歩きで学んだこと。
牡丹山線以外,道路の高低は全くわからないけれども,かつては確かに他より少し高くなっていて「山」だったのだろうなと思うと,地名に「山」がつくというのもよくわかる。
もっとも,私の家の周囲は引っ越してきた当時は一面田んぼであった(今は全部住宅地やスーパーになっている)ので,砂丘尾根ではなくて砂丘間低地だったのだろうけど。
そういや,町内会の名前は「南沢」だったな。低いから「沢」か。そうか。
昔住んでいたところは「宮前」。確かに割と近くに神社はあった。「北沢」という町内もあったけど,あれはどの辺だったか。南沢に対して,尾根をはさんで北側にあったのか…?
むぅ。今は住所としては「中山○丁目」でしかないけれど,町内会の名前まで見るとオモシロいかもしれないな。
というようなことをつらつらと考えていたのだけれども,全部私の妄想に近い推測なので,ホントかどうかはわかりません。ので鵜呑みにされませんように。しないか。
ちょっと昔の地図なんか見たくなってきたな。たまに図書館でも行って探してみるか。
ということとは毎度関係なく,2月24日更新は「律義物件2」。
地味にショートでお送りします。
http://www.on.rim.or.jp/~makosan/
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