2013年10月13日 (日)

10月13日更新

 ブログ部分更新は久しぶりであるな。それはそれとして。

 ぶっちゃけた話をすれば私は昭和40年の早生まれであって,言うならば「五輪後」の世代なのだよな。新潟県人としては「地震後」の生まれでもある。

 生まれが40年なのでウルトラマンやウルトラセブンは,生まれてはいたけれどもリアルタイムでは観ていない。観ていたかもしれないけれどもその場面を憶えてはいない。

 もちろんその後の再放送でさんざん観てはいるから,内容は知っているけれども。
 でも逆に言うならば,物心ついた時点ですでに変身ヒーローのいた世代になるんであろうか。

 それよりちょっと前の世代になると,変身と言っても服を着たり仮面をつけたりというくらいのものになるか。月光仮面とか。変身はしないだろうけれども快傑ハリマオとか。

「快傑」というのも遥かな言葉のような気がするけれども,この「快傑」って,変換してくれないのだよな。でてくるのは「怪傑」。
 これが辞書なんかに載る言葉としての「かいけつ」なのか。「快傑」は当て字みたいなものなのか。ここに及んで初めて知った。むぅ。

 ヒーローに冠される字面としては,やはり怪よりも快であろうから「快傑」というのが作られたんであろうか。訳すと「ナイスガイ」になるのか?ちょっと違うか。
「快傑」なヒーローは,私としてはライオン丸とかズバットとかか。でもズバットは「快」よりも「怪」のような気もするところであるなぁ。

 まぁ,子どもの頃は「かいけつ」と言っても「解決」の意味しか知らなかったから「かいけつ××」というのは「事件を解決するヒーローであるところの××」という意味だと思っていたのであるよな。
 子どもはほぼ100パーセントそうだったんではあるまいか。それを逆手にとって「解決しよう」が決めゼリフの「かいけつタマゴン」なんてアニメもあった…っけか。

 ということとはいつもどおり関係なく,10月13日更新は「うま物件」と「寝入り物件」。
 名古屋出張の物件であります。

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2013年7月28日 (日)

7月28日更新

 ここ数年,東京へ遊びに行くということもほとんど無かったのだけれども,今年はちょくちょくと行っている。4月5月7月と,このところ毎月のように。

 理由としては土曜日の休みを取り返したということ(バカな理由により,ここ7年ばかり週休一日だった。長くなるのでこれ以上書かんけど)があるのだけれども,ただ休みがあるだけではわざわざ東京まで交通費宿泊費つかって行かないわけで,それだけ費やしてもいいと思えるようなイベントがあるから行くのであるよな。

 それがなんであるかというと「東京スリバチ学会」がらみのイベント。4月は六本木ヒルズで「六本木アートカレッジ」,5月は調布のフィールドワーク,7月は東京カルチャーカルチャーで「スリバチナイト」。6月にもフィールドワークはあったのだけれども,行けなかった。

 7月のスリバチナイトはまだ先週土曜の話だけれども,その翌日の日曜午前中には,スリバチ学会会長のご厚意により新潟からの参加者(新潟の街歩きの巨人・N氏と小人・私)のために六本木スリバチ歩きが行なわれた。ありがたいことであるなぁ。
 我々新潟組以外には,前日のスリバチナイトでのサプライズ告知だったのだけれども,緊急にもかかわらず30名くらいが参加。
 スゴイ。それだけ人をひきつける会長ももちろんスゴイし,それに乗ってくるみんなもスゴイ。

 私も新潟の街を歩くことに関してはもう15年以上歩いているわけだけれども,基本何も考えず何をどうしようというテーマも持たず歩いているので,何も生まないしどこにもつながらないのだよな。
 それは決して悪いことではないと思っているし「何の役にも立たないことを自分なりに楽しむ」はある意味テーマと言えば言えないこともないものであるのだけれども,やはりちょっと「いいのか?」と思ったりしてしまうこともあるのだよなぁ。

 そんなわけで,スリバチ学会関係のイベントを楽しむことは,自分にとってかなりの刺激になっている。
 もちろん,新潟で行なわれる街歩き関係のイベントも今は色々あって,それも刺激になることが多い。
 みんな,楽しみながらがんばっているのだよなぁ。
 オモシロそうなことには,いろいろと参加していきたいものであるなぁ。
 ひとりで積み重ねていくというのも,大切にしてきたいことではあるけれども。

 ということとはいつもながら関係なく,7月28日更新は「ワイプ物件」と「ぜったい物件」。
 世の中に絶対などということは絶対にないのだよな。

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2013年7月 7日 (日)

7月7日更新

 私は,ご覧の通り(見えないか)運動は苦手である。小学生の頃から,体育はあんまり好きではなかった。
 小学校中学校のころからこんな体型(見えないか)をしていたわけではなく,むしろ小学校中学年ころまではガリガリに痩せていたのだけれども,体型に関係なく運動は苦手だった。

 特に集団入り乱れ型の球技(サッカーとかバスケとか)なんかだと,ボールがうまく扱えないわ次にどう動けばいいやら判断できないわでオロオロするばかりになってしまい,そういう自分がイヤになってしまうのであるよな。

 ただ,小学校のころのポートボールというのは,ただひたすらボールを受けるゴールマン(って言うのか?)や,その下でただひたすらゴールを邪魔するガードマン(って言うのか?)をするのは好きだったけれども。
 何にも考えずにそれだけやってればいいというようなのはよかったのかもしれない。アタマとカラダ両方を動かすというのは苦手だったのだろうなぁ。

 チームプレイでないものは,けっこうできた気もする。
 陸上も,中学生までは短距離なら陸上部の人間に勝ってたし。相撲なんかも強かったし(何度も言うが太ってはいなかった)。
 基礎体力というか,瞬発力はあったのかもしれない。

 でも,長距離走はダメだった。すぐに疲れる。走れなくなる。マラソン大会なんていうのは悪夢以外の何ものでもない。なんでこんなツラいことを学校でやるのかと。思ったものであるなぁ。

 短距離型,長距離型の筋肉というのがあるらしいけれども,私は短距離型なんであろう。
 なんていうことの前に,根性というものが無かったのかもしれないけれども。

 そんなわけで,最近まわりの人がよく走るのであるよな。シティマラソンというのも流行りであるし。
 学校行事の5キロマラソン(マラソンなんて言えない距離でゼェゼェいってたのだよなぁ)でも悪夢であった私としては,フルマラソンなどというのを走れる人は宇宙人に等しいのだけれども,まわりにも何人か宇宙人はいる。

 シティマラソンの類にはそれより短いコースもあることが多いけれども,それでも10キロは走る場合が多いわけで,それを考えるだけで疲れてしまう。悪夢の2倍だしな。
 10キロコースを2時間かけてもいいんであれば,歩いてならいけそうだけれどもなぁ。実際,10キロ程度歩くことはまれにあるしなぁ。

 まわりが走ってると自分でも走りたくなってくるけれども,そのうち10キロでも走れるようになる日が来るであろうか。…来ないだろうなぁ。根性ないからなぁ。

 ということとは毎度のことながら関係なく,7月7日更新は「あるかな物件」と「軽い物件」。
 今気づいたがタナバタか。もちろん物件はそれとはまったく関係ありません。
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2013年6月30日 (日)

6月30日更新

 私は3年ほど前に気象予報士の試験に合格して,この試験はとりあえず更新というのはないから,現在のところ一応国が認める気象予報士である。
 だからといってそれを仕事にしたり有効活用しているわけではないのだけれども。まったくもって趣味の資格。

 割と派手な資格で合格率も低いから難しい試験のように思われるけれども,実際はそれほど高難易度の試験ではないような気がする(私は2回落ちてるけどもな)。
 気象に興味があって多少の文章力があるなら,ちょっと苦労すれば合格できるであろうと思う。

 ただその「気象に興味があって」というのが意外と難しいのだろうなぁ。
 興味は無いけど派手な資格だからとってみたい,というような感じでは勉強も進まんだろうし。これはたいがいの資格試験でもそうだろうけれども。

 そして,やはりたいがいの資格試験でそうだろうけれども,試験に合格したというだけでは使えないのであるよな。机上で勉強するだけみたいな試験では特に。
 気象予報に関していえば,学問として修めようとすれば高度な数学・物理が必要であろうし,実際の予報を行なおうとすれば多くのデータと毎日の実践・研鑚が必要であろうし。

 そんなわけで,研鑚も勉強もしていない私は試験に受かっただけの「なんちゃって気象予報士」になってしまっている。
 のだけれども,もちろん気象に興味を失ってしまったわけではなく,試験勉強によって得た知識や考え方というのは財産になったし,より一層の興味を持つようになったのだよな。

 だから,空を見上げ雲を愛で光を楽しむというのは私の趣味であるのだけれども,それと同時に私は路上観察者でもあるので,歩いているときには空を見ているヒマがないのであるよな。
 いや,ちょいと空を見上げる余裕くらいはあるけれども,やはりモードというのがあって。空モードと路上モードと。どちらかというと路上モードの方が優勢か。

 路上観察士という国家資格も作ってくれんかな。それを持ってれば,不審者扱いされないやつ。
(カメラを手にキョロキョロしつつ)街を歩いて一番不安になるのは,不審者として通報されることだからなぁ。
 路上観察士が,社会に対してどういう貢献をするかわからないけど。…貢献,しないよなぁ。

 ということとは例によって関係なく,6月30日更新は「だし物件」,「なし物件」。
 ちょっと初心にかえって,しばらく1物件1写真のコメント短めにするぞ。
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2013年6月23日 (日)

6月23日更新

 私の家の最寄駅は,新潟駅である。シティーボーイなのだ。
 まぁ,首都圏のように鉄道網が発達していないから「他に駅がない」というだけであるけれども,それでも歩いて30分ほどで着けるから,距離的にはイナカに住んでいるわけでないのは事実なんであるよな。

 でも,昭和のうちはまだ周囲にはだだっ広い田んぼが広がっていて,まったくの住宅地となって広い便利な道路が開通したのはごく最近の話。

 田んぼに囲まれているときは,水が張られると鳴きだすウシガエル(食用ガエルと言っていたけど)がボワーボワーとうるさかったけれども,それも今では懐かしい。また近所で鳴きだしたらうんざりするだろうけど。
 夏場にはホタルもちらちらと飛んでいたことがあったような記憶があるけど,あれは野生だったんであろうか。近所の人が放したり…なんて風流なことはしてないだろうなぁ。

 学校や遊びから帰るのが夜になるときは,田んぼの間の農道を通らなければならず,外灯もない一本道を自転車で走り抜けるときは,黒い田んぼから何か出てきて引きずり込まれたりしそうで,怖かった。
 ほんの(でもないか?)30年くらい前まではそんなところだったのだよなぁ。

 今ではその田んぼは,新しい住宅地になったりスーパーになったりマンションになったりで,表面上の面影はほとんどない。
 でも割と広い用水路がところどころまだ残っていて,それが水田地帯だったことを感じさせてくれる。

 形として残っている用水路以外にも暗渠となっているようなところもあるし,かつて用水路で分断されていた区画をムリヤリくっつけたことによってできる(と思っているのだけど)「クランク小路」も,以前の土地利用を想像できてオモシロい。

 あのうるさかったカエルたちは,その後どうなったのだろうなぁ。

 ということとはいつものことながら関係なく,6月23日更新は「出張物件12」。
 ルイージは,自分たちを「マリオ兄弟」と言われてどう思ってるんであろうか。
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2013年6月16日 (日)

6月16日更新

 私は自分が太っているというのは自覚しているし,私を知る人も全員がそれに同意するであろうというのは想像に難くない。
 もし私と会って「太ってないですよぉ」という人がいたら,それは私よりさらに太っている人だと思うのだけれども,それはあくまで自分と比較してであって,絶対的な尺度からすれば太っていないわけがないのであるよな。

 ただ,太っている人というのは意外と自分の「太り」を過小評価していたりする。「まぁ太ってはいるけど,まだ大丈夫だよな」とか思っていたりするのであるよな。

 それはおそらくあんまり自分の姿というのを見ないからではあるまいか。鏡で見るのもだいたいは顔くらいであって,全身を見るというのはほとんどない。肉体美を誇る人は,自分を鏡に映してニンマリしたりするのかもしれないけれども。

 さらにテレビに映るデブタレなんかを見て「まぁ,まだあそこまでは…」なんて安心していたりもする。彼らはあれが仕事みたいなものであるから,一般の人間とは違うのだけれども。

 伊集院光氏が出演する番組をたまにテレビで見て「横だけでなく縦にも広いなぁ。サイコロみたいだなぁ」と漠然と思っていたのだけれども,先日の街歩きイベントの時に撮られたスナップに写りこんだ「横向きの自分」を見て「うわ。同じじゃん」と思ってしまった。

「他の人からはこういう風に見えているのか。そうか」とあらためて気づかされたのだけれども,確かに横向きの姿というのはあんまり見ないのであるよなぁ。集合写真なんかではだいたい正面向いてるし。自然体とは言えない姿勢だし。

 まぁ,目玉が自分の身体についている以上,本当に客観的に自分の姿を見るということはできないのであるよな。写真とか映像の中の自分というのは平面だし。3D映像というのも,まだ実物を見る感じではないのだろうし。
 そういうことを言い出すと,先の伊集院光氏も実物は見たことないのだけど。実際に会ったら,もっとデカく感じるのだろうなという気はする。

 ということで最近少々危機感を覚えているのだけれども,それですぐにホンキで何か実行に移せるくらいの人間であれば,最初から太りはしないのだよな。
 7月の名古屋出張は大相撲名古屋場所の期間に入るようだから,たくさんのデブを見て逃避しようか。でもあの人たちただデブなわけじゃなくて,デブ皮の下は筋肉らしいのだよなぁ…。

 ということとは毎度関係なく,6月16日更新は「マジか物件」。
 腹が立つっていう言い方は誰が始めたんだろうなぁ。
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2013年6月 2日 (日)

6月2日更新

 もう6月か。もう最近ホントに時間があれよあれよという間に過ぎていくな。ついこの間まで冬だったような気がするが。
 まぁ実際にうちではゴールデンウィークあけてもコタツが出ていたような気がするから,大げさでもないのかもしれない。
 私自身は比較的暑がりなのだけど,年寄りがいると寒がるのだよな。まぁ温度差を感じ取れる分だけまだ元気だということなのかもしれないけれども。

 今年は5月のうちに関東甲信まで梅雨入りしたのだよな。新潟はまだだけど。そして入梅したところも早くも梅雨の中休みみたいになってるみたいだけど。
 しかし梅雨前線がハッキリ描かれないのに梅雨入りというのもなんだか面白いところであるな。でも大昔だって天気図書いて梅雨入りを発表していたわけではなくて,感覚的に「もう梅雨であることだなぁ」と思っていたのだろうから,それが正しいあり方なのかもしれない。

 しかし5月のうちから梅雨だと,通常7月半ばくらいまでは続くから,6月はまる1ヶ月梅雨期間ということになるのだな。
 ただでさえ地味でたいした行事も祝日も無い6月が,もうまるまる梅雨であるというのはあまりにイメージ悪すぎなんではあるまいか。
 ジューンブライドとかいうのがあるらしいけれども,何だそれ。そんなものは知らん。

 季節行事であった衣替えすら,最近はクールビズとやらでだいたい5月だし。
 じゃあ,6月は湿ってるからドライビズというファッションでやるのはどうか。服に乾燥剤をジャラジャラつけてお仕事。事務所の入口には「ドライビズにより職員がジャラジャラしていますけれどもご了承ください」とか書いてあったり…しないか。

 雨も,屋内にいるのなら風情ありであるけれども,外へ出ざるを得ない通勤なんかのときには鬱陶しいのだよなぁ。バス混むし。
 街を歩くのも,雨だと歩く気どうしても薄れるし。
 恵みの雨は必要だというのはわかっているけれどもなぁ。

 ということとはいつもながら関係なく,6月2日更新は「小ネタ物件116」。
 今週もどうぞ拝見してください。。
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2013年5月26日 (日)

5月26日更新

 何度か書いたことがある気がするけれども,私は下戸である。ビールの一杯も腹に入れると,すぐに頭痛がしてくる。

 飲まないですむものであれば極力飲みたくないと思っているのだけれども,宴会でみんなが飲んでるときに自分だけウーロン茶で押し通せるほど(精神力が)強くもない。
 それどころか,数杯はおかわりやら別の酒やら注文してしまう。あとで苦しくなるのはわかっているのに。

 専門学校に勤めているころは学生とコンパとかあって飲まざるを得ないことも多かったけれども,あれはちょっとツラかった。みんながつぎに来るし。学生は調子に乗るし。自分がつぶれるわけにもいかないし。

 まぁ,数杯でも一応は飲めているわけだから,いわゆる「完全に飲めない体質」というものでもないのだろうな。でもアルコール分解能力はかなり低い気がする。

 これがおいしいならいいのだけれども,酒自体をおいしいと思ったことは,無い。
 カクテルとかチューハイで「これは飲めるな」と思うものもあるけれども,あれはジュースの味みたいなもので,「これにアルコールが入ってなければもっとおいしいだろうな」などとさえ思ったりする。
 なら最初からジュース頼んどけ,という話であるけれども。

 つまりは,私にとって宴席というのは,たいしておいしくもない毒を食らいにいく場なのである。
 酒大好き,という人からすれば「なんともったいない人生であるか」と思うだろうけれども,やはり自分でもそう思う。
 酒をおいしく感じることができていたらもっと楽しいだろうなぁ,とは思っているけれども,体質はしょうがないところなのであるよなぁ。

 ただ困ってしまうのは,そういう場というのがキライではないところなのであるよな。
 みんなが楽しくしている中に身を置くというのは,それ自体が心地いい。絡まれたりするのはイヤだけれども。
 義務というか義理で行く宴会というのは責め苦に等しい(酒好きの人は酒が飲めるというだけでうれしいのだろうな)けれども,そうでない宴会は酒が飲めなくても楽しいのであるよな。

 たまに,酒でなくスイーツで宴会とかやらんかな。そっちなら得意だが。…それもちょっとアレか。

 ということとはいつもながら関係なく,5月26日更新は「とびだす物件」。
 いや物件が3Dになっているわけではありませんが。
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2013年5月19日 (日)

5月19日更新

 子どもの頃は,ひとつ年が違うとずいぶんと大人に見えたものであるし,それこそホントの大人を見ればもう別種の存在に見えたものであるけれども,いざ自分が歳を重ねてみると,中身などというのはそんなに変わっていないような気がするのであるよな。

 知識やら経験が増えているから,物事への対処の仕方というか「他から見られてそれほど恥ずかしくなく振舞う術」を身につけただけで,心の中で思うことはそんなに変わっていないような気がする。
(わー。この仕事やだ。やりたくねー。ひーん)とか考えても,ホントには泣かないだけで,心で泣いていたりする。子どもの頃から強かった人は心でも泣かないのかもしれないけれども。

 だから,年齢だけ重ねても意外と気持ちはずっと若かったりするのだけれども,身体面ではそうもいかないのであるよな。
 もう20代くらいでも「走ると疲れるー。学生と違うわ。オレももうトシだー」なんて言ったりはするけれども,それはただオトナぶりたいだけの発言であって,ホントにそう思ってるわけではないのだよな。

 ホントにそう思うのは,外見でハッキリと老化がわかるとき。それが何なのかは人によって違うかもしれないけれども,私の場合はシラガであるな。
 私はここまで頭髪にシラガはなかった。ちょっと前から鼻毛にシラガが出てたりしたのだけれども「むしろ鼻毛が目立たなくてよろしい」くらいに考えていた。
 が,先日鏡を見たところ,モミアゲ部分に数本のシラガがハッキリと。

「うわ。なんだこれ。光の加減か?いや違うな。何か糸でも頭についたか?取ってやれ。あれ,取れない。痛い。なに?ホンモノか?髪の毛白いのか?うそ。シラガ?マジか。モミアゲに?あー,そういう人いるよな。モミアゲが白い人。うわ。あんなになるのか。他にもあるか?とりあえず見えないか。でも後頭部真っ白だったらどうする?いやそれはないか。でももう一枚カガミ鏡。カガミないか。よしスマホで。んー,後頭部大丈夫」

 と,一通り狼狽したあとで「んー。そうか。ついに来たか」と思ったのであるよな。心は若いつもりでいても外見で出てしまうと,観念せざるを得ない。
 前にテレビに映ったときも,おじぎして頭頂部が見えて「わ。てっぺん意外と薄いな」と思ったりしたけれども,自分であんまり見えないということもあってそのまま忘れてた。

 しかし人間が生物として生きていく上では,別に髪の毛が白くなる必然性なんて無いと思うのだけれども,それによって老化を自覚させ,相応の生き方をさせようとする生命のメカニズムだったりするんであろうか。もうムリはきかんぞ,というサインか。

 ということで,これからどうしようか検討中。染めるのもアレだし。テクノカットにするかな。いやいや。
 まぁ,シラガよりもまずメタボをなんとかせいという声もありますけれども。

 ということとは毎度関係なく,5月19日更新は「結界物件3」。
 地味な写真のみ。入ってしまえば,閉じた空間というのは心地良いような気もする。
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2013年5月12日 (日)

5月12日更新

 私はどうも時間を使うのがうまくない。ムダな時間を使ってしまうというか,ムダな時間というのがないと疲れてしまうのだよな。

 たとえば電車など交通機関を乗り継がなければならない場合。乗換えまで2分あるからちょっと急げば間に合う,みたいなときも「んー。間に合うかもしらんけど,20分待って次でいいや」ということで,ホームでボッとしてたりする。

 録画しておいたテレビ番組を観る場合。番組を選択して再生ボタンを押したらCMが長々続いても,スキップはしない。途中のCMも飛ばさずに見る。番組のエンディングが終わったあとも,停止ボタンは押さない。時間がきて再生が停止するまで見ている。CMのないNHKでも最近は番宣みたいなのがけっこうあるけれども,これも見る。
 まぁ,これは私がCM見るのがキライではないからということでもあるのだけど。

 うちの父親なんかはもうとにかくCMを見るのがキライらしく,録画を観るときにはCMになりそうになるとリモコンに手をかける。
 よくわからないのは,CMをスキップしておいて,番組が再開してからトイレに立ったりする。CMスキップせずに行けばいいのにと思うのだけれども,何か美学があるのかもしれない。
 番組本編が終われば,エンディングトークなんかも観ずに終了ボタンを押して,即座に番組消去するし。
 という感じであるから,こういうのは遺伝ではないのだろうなぁ。

 ムダということで言えば,私がもう17年ばかりやっている「ご近所路上観察ファイル」もムダの極みみたいなもんであるよな。
 読んでも何の勉強にもならないし,疑問を解決するでもないし,お店を紹介して地域経済に貢献したりすることもなくダラダラと思ったことを書いているだけであるし。
 前提になる「歩き」にしてもウォーキングのように身体にいい歩き方をしているわけではないしタメになる発見をしたりするわけでもないし。

 こう客観的にみていくとホントに「自分は何をやっているのか。こんなことに時間をつかっているというのは罪悪なんではないのか」と思ってきてしまいそうであるけれども,要は自分がオモシロければそれは自分のタメになっているのであって,そんなオモシロくもないことを20年近くも続けていられるわけがないのであるよな。

 ああ。結局この文章も「自分がオモシロければそれでいい」という,言わずもがなのムダな文章になってしまった。

 ということとはいつもと変わらず関係なく,5月12日更新は「お犬物件」。
 昔は犬のフンなんかその辺にゴロゴロしていたけれどもなぁ。いやもちろん自分の土地にあったらイヤだろうけれども。
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